こんにちは。二階堂ハジメです。
今回はその選択、本当に自分でしてますかについてお伝えします。
選択肢が多すぎても・・・困りもの
選択肢が多すぎても実は自由に選択していないのではと感じます。
選択肢が多いと、自分で選択せずに、他人の経験に委ねる、さらに他人の経験が正しいと思い込んでしまう。
例えば、こういうことです。
おいしいチーズケーキが食べたいとします。
そうすると自分は検索サイトで調べます。
調べた結果、おそらく検索サイト上位に来ている結果を見て、それがおいしいんだと判断してしまう。
こういうことなんです。
結局、自分で経験しないで、他人の経験のみで判断してしまう。
でもって、そのお店に行く。たいがいはおいしいのですが、これっていいのかなと。
これって本当に自分がおいしいと感じたのかなぁと、他人の評価に踊らされてはいないのかと。
他に自分の口に合うチーズケーキがあったのかなとたまに思うのです。
選択の不自由さを感じます。
その時自分でできる最高の選択をしたのだろうけど、何かが違うような。
情報を集めようとする人には集まらない、情報を発信する人に人は集まるのでしょうね。
情報を発信できる人というのは、自分で選択してきた人といえるかもしれません。
自分で経験してきたことを自分の言葉で表現していくことって、自分の人生を他人に頼らず自分で選択してきたんだろうなぁと思うのです。
試したり、経験する人に情報があつまり、自分にとっての最高の選択ができるようになります。
経験をせずに他から情報を集めて動けない、集めるだけで何もしない人にはなりたくないなぁ。
まず調べるのもいいですが、とりあえずやってみる、試してみる。
試してみたくなる、作ってみる、やってみると世界が変わる、そこから自分らしい選択できる。
試してみたいことはなんですか?
表面的な知識で分かったつもりになってませんか。
動かないほうが楽です。
でも、本当の自由が始まるのは自分が選択権を持ったときだと思うのです。
ぐるぐる考えているより、動きましょう、と自分に言い聞かせる、汗。
最後に
ご意見や記事にして欲しいことなどありましたら、お気軽にここをクリックして、メッセージをくださいね。
今日はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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